くらむぼんのViva! Cinema Viva! Queen Viva! Voyage♪

映画とか旅とか大好きなQueen(バンド)の備忘録、時々ひとりごと

立て続けに3本。どれも実話ベースの。

3本です。


仕事でむしゃくしゃしてると、まっすぐ自宅へ帰りたくない気分がMAXになる。おのずと足が映画館へ。
派手に買い物をして散財するよりはいいのだと自分に暗示をかけつつ。
暗闇に身を沈めて、自分の思考とか気分をなにかにぐるっとわしずかみにされることで、一瞬でも現実逃避できることを欲しているんだろうなと思う。
気分転換。気持ちの切り替え。



以下、全てYahooより引用。
「ラッシュ/プライドと情熱」

あらすじ: 性格もレーススタイルも相反するF1レーサー、ニキ・ラウダダニエル・ブリュール)とジェームス・ハントクリス・ヘムズワース)が激しい首位争いを繰り広げていた1976年。ランキング1位だったラウダはドイツ大会で大事故に遭遇し、深いけがを負う。復活は無理だと思われたがわずか6週間でレースに復帰し、日本の富士スピードウェイでのシリーズ最後のレースに臨む。


個人的には、アイルトン・セナと若きシューマッハの時代、ある意味で世の中もスポーツレース界もバブルに沸いていた華のある頃に、深夜のテレビ中継のマクラーレンホンダ車がコーナーワークを回る音、「ウィイーーン」と唸るエンジン音を懐かしく思う世代なので(笑)、F1創成期ともいうべきその1代前のニキ・ラウダジェームス・ハントの存在はこの映画で知った。
ロン・ハワード監督でもあり、そこそこ期待していたのだが、人間ドラマとしては60点くらいの出来かな。主人公二人の確執も葛藤も、周囲の人間も、全てがフラットに描かれすぎている気がした。だから、泣きも感動もいまいち薄い。実話だからかなー、良くも悪くも実在の人物に気を使ってドロドロにできなかったっていう「配慮」を感じた。二人の男をそれぞれ支える美女二人も、もっとこう…なんていうか悪い女だったらよかったのに、とか(笑)そう、別にまずくはないけどあっさりのどごし、何も残らないコーヒーっていう感じの映画。もっとローストすれば苦くていい風味がでるだろう素材なのに、もったいないなという印象。
ただし。画像はよかった。期待して観た半分は「ウィイーーン」な音(笑)とかレーシングカーの飛ばしっぷりを大画面で堪能したい(そのくらい、ガツンとした刺激が欲しかった?)ので、その点では満足。




ウルフ・オブ・ウォールストリート

ウルフ・オブ・ウォールストリート

ウルフ・オブ・ウォールストリートとは編集

あらすじ: 学歴や人脈もないまま、22歳でウォール街投資銀行で働きだしたジョーダン・ベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)。巧みな話術で人々の心を瞬く間につかみ、斬新なアイデアを次々と繰り出しては業績を上げ、猛烈なスピードで成り上がっていく。そして26歳で証券会社を設立し、約49億円もの年収を得るまでに。富と名声を一気に手に入れ、ウォール街のウルフという異名で呼ばれるようになった彼は、浪費の限りを尽くして世間の話題を集めていく。しかし、その先には思いがけない転落が待ち受けていた。


いやー。レオ様、文字通り「ヤリまくり」ました(笑)
演じきって疲れて休みたいとボヤいてらっしゃる気持ちもわかります。
レオ様は、以前観たタランティーノの「ジャンゴ 繋がれざる者」でも思ったけど、悪役とかヘンな人間やらせた方が絶対いい。「やっぱりアンタ、本性はあんまりイイひとじゃないでしょ、ディカプリオさん(笑)」って。
他人を否応なしに惹きつける、詐欺的カリスマ性を持った男の話。
口先だけでぺらぺらと電話勧誘でカスのような株を売りつけては手数料で稼ぎまくり、客の損などお構いなし。
んー、金儲けで成金になる王道です、これ。イヤダイヤダだけど実はすごくヤッテみたい事。出しちゃやばいとわかっていてもつい、出してしまう手。観ちゃいけないけどホントは絶対に観たいモノ。金持ちになりたくないヤツなんて、いるもんか!そんな、人間のサガをくすぐってはほくそ笑み、巨万の富を得て行く悪魔のような男、ジョーダン・ベルフォートなる実在した人間の魅力を、レオ様はスクリーンの中で打ち上げ花火のごとくヤリ(演じ)まくりました。ま、ヤってるのはクスリも女も、ですが(笑)

これも、感動とかドラマとかを期待してはいけません。
いい年した大人が金・女・ドラッグで乱痴気騒ぎしてるだけの映画ですから(笑)
だけど、私はこれが人間だと思う。イヤラしくて、ばかばかしくて、でも誰だって一晩2億の金で、なあんにも考えずにぱあっと楽しく遊べますよ、如何?っていわれたら、遊ぶでしょ。
とはいえ、ジェットコースターも最後は下って止まるもの。物語はお決まりのコースをたどります。
だが、レオ様はタダでは転びません。そこがいい。
その、最後の最後までイヤラしく生きようとするジョーダンという男のしぶとさ。改心って言葉がコイツにはないんだろうかと思わせる、ある意味最低なヤツ(笑)
人間なんて、そんなに簡単には変われやしないんだ、というマーティン・スコセッシ監督らしい視点がある。
スコセッシの世界観が好きか嫌いかで、この映画の特にラストは、賛否両論わかれることだろう。
でも、好きだな。この「ハッピーエンド、くそくらえ」みたいな感じ。


同じ実在の人物を描いても前述の「ラッシュ/プライドと情熱」とは真逆です。
監督の趣向とか素材の調理方法で、かくも映画とは、映画の登場人物とは、違ってくるものなのかと。
比較してみるとこれもまた面白いです。




大統領の執事の涙

あらすじ: 綿花畑で働く奴隷の息子に生まれた黒人、セシル・ゲインズ(フォレスト・ウィテカー)。ホテルのボーイとなって懸命に働き、ホワイトハウスの執事へと抜てきされる。アイゼンハワーケネディ、ジョンソン、フォードなど、歴代の大統領に仕えながら、キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争といったアメリカの国家的大局を目の当たりにしてきたセシル。その一方で、白人の従者である父親を恥じる長男との衝突をはじめ、彼とその家族もさまざまな荒波にもまれる。


アメリカ(の映画界)の今の空気って、「あの頃の振り返り」、ノスタルジーを求めてるんだろうか。
前述の2本の後、特にこの実在した執事inホワイトハウスの物語を観て、思った。
大統領がどの方たちもいい人ばかりで(笑)ちゃんと黒人差別へのメッセージや対策を、当時一番の影響力を持ってい
たテレビ媒体を使って国民にしっかりアピールしたりしてくれる。(どれも大して効果はなく、差別の実態は変わらないのだが) その様をそばで黙ってみている黒人執事、セシル。
全編を通じて一番印象的だったのは、セシルの執事としての働きぶりを認めてくれていると思っていたレーガンが、歴代の大統領の中で唯一、南アの黒人人種差別民族運動に対して南ア政府側(白人側)に立ち、黒人を擁護しない姿勢を取った時に、静かに、その表情だけで、セシルが初めて反旗を翻した一瞬の映像、かな。
白人に仕える執事としての矜持は、その瞬間の前後で大きく変化する。
敢えて言うなら、
「どうやって生き抜くか」(本意でなくても、食べていく為にはこれしかないと選択すること)
「どうやって生きていきたいか」(自分を偽ってまで、この仕事・生活にしがみつくことに意味はないと決断すること)
の二つの矛盾する自分自身の問いかけに対して、セシルはその時々で、正直に答えを出し、誠実に生きたということだろう。
息子や家族との確執も描かれてはいるが、セシル自身は悩みや苦しみから目をそむけ、蓋をしてきた人間だ。
酒におぼれたり、自暴自棄になることもない。私はそこに偽善的な無責任さ、気楽さを感じた。この映画にヒューマニズム的感動がないのは、その為だ。
前述の「ウルフ〜」のジョーダンが人間の暗部・恥部をこれでもかと体現させているのに対して、セシルはどこまでも清く正しい。自分の生き方に矛盾があるとわかっていても、だ。
私はそれも、人間だと思う。自分の中の偽善、矛盾に気づいていても、知らないふりをしなくては前へ進めない。
生きていくっていうのは、そういうことだと思うから。

仕事帰りで疲れていたせいか、「ま、そうだよな。そんなもんだよな」と、さらりと受け止めつつ駅に向かうと、そこは混雑した車両になんとか身体を滑り込ませて、家路を急ぐ人々であふれている。
映画の感想としては、セシルっていう「正しい選択をする人」に対してあまり感情移入ができなかったこともあり、そこそこなんだけれど、鑑賞した後の街の景色と、今の自分の立ち位置に一瞬セシル的なモノを重ねてみたりも、して。


たまたまだけど、実際にあった出来事、人物の物語が続いた。次はバリバリのフィクションを観ようかなー。