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昨晩NHKBSでロック・モントリオール1981の放送があった。
Twitterでも結構な数のタグやコメントが流れてきていたので、
かなりのファンの方々がリアルに視聴し、歌い、踊っていたのではないだろうか🤣
コロナの副産物?として、直接集っての鑑賞会は開催できずとも、同時配信風にファンのみんなで同じ時間を共有して盛り上がる、ということが普通になってきたから、
今回もまさにそんな感じで、楽しかった❤
おそらくQueenの現存するOfficialなDVDの中では最も画像が鮮明で見応え十分、
ライブとしてもバンドが太鼓判を押す出来であることは間違いない,
1981年11月カナダ・モントリオールで開催されたコンサートの放送。
もちろんBlue-rayも出ています。
Queenにはまってから、DVDやBlue-rayのことを円盤というのだと初めて知ったわけですが(笑)その円盤には「あの」1985年のライブ・エイドの20分間も納められています。なので1本で、Queenのベストパフォーマンスの5本指に入るライブのうちの2本が楽しめる、美味しい作りとなっております👍
伝説の証~ロック・モントリオール1981&ライブ・エイド1985 (ユニバーサル・ミュージック合同会社)
・・・・この表紙で、実はちょっと損してる気がするんだよなー(笑)
フレディもブライアンもロジャーもジョンも、とーってもとーってもかっこよくて、
特にモントリオールには「あ、ここ!!これこれっ!!」ていうめっちゃいいショット、瞬間がいーっぱい詰まってるのだから、
この「土方おやじのタオル腰巻き風、のけぞりフレディ」じゃない方が、ファン以外の人にもモットいい感じでアピールできると思うのだが・・・・
まあ、Queenって(特にフレディって)ファンでなければ「なにゆえこのコス?」っていう感想をもつのがしごくもっともなので(笑)仕方ないっちゃ仕方ないんですけどね。でもね、ファンにはそれがたまんなかったりするんでね、いーんです、はい。
と、まあそんなことはちっさいことでして。
とにかくこの中身、ライブをですね。観てしまった日にはもう・・・元のカラダには戻れません(笑)
そのくらい、4人の疾走感がはんぱないライブです。
フレディのパフォーマンスを上げるために、この後バンドはサポートメンバーを入れてライブをするわけですが、このモントリオールの時期、1980年から1981年にかけて行われたThe Gameツアーまでは4人で。たった4人であの歌、あの演奏、あのライブをやってたんだと思うと・・・それだけで鳥肌がたつくらい。
とにかく、観て損は絶対にない、すっげえかっこいい1本です。
まさに「伝説の証」!
あ、タイトルはバッチリですね、ユニバーサルさん(笑)
あと特典っていうのかな、ブライアンとロジャーが「まったりとソファーでくつろぎながら(笑)」当時のライブの背景や撮影秘話的なこと、フレディやジョンのパフォーマンスにも触れながら、コメンタリーでいろいろ語ってくれているのがこれまたいいんですよね。
最後に、御大ふたりの会話で、ファンをちょっとほろりとさせてくれたりして😭
映画ボヘミアン・ラプソディで再現されたライブ・エイドの本家本元も、DISC2で思う存分堪能できますが、これはまた次回に。
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なかなかマメに更新できないなあ、ブログ。
でも別に強制じゃないしね。
PCの移行で旅の写真、携帯・スマホの写真をごっそり消してしまった。
一部だけは残ってるんだけど。
ハードディスクにまだ残ってたかな。あとは古いPCからまたやおらコピーするか。
旅の写真。
コロナで散々な今年。
自分がこんなに家にこもりっきりで平気な人間だったとは
誰より自分が驚いてる。
それまでは毎年必ず国内・海外、旅に出てた。
っていうか出ないとストレス溜まって魂が死ぬ(大げさ)と思って生きてきた。
けど。
コロナおそるべし。そんなワタシが出かけるのがおっくうになってる、この数ヶ月で。
今、何も考えず、行っていいよ、行けるよといわれたら
行きたいのはこんな感じ。
っていうか、行くよ。絶対。後悔したくないもの。
中東が(今も決して落ち着いてはいないだろうけど)ひところ本当に
テロと紛争でぐちゃぐちゃだった時
ペトラになんでもっと早く行っておかなかったんだろうって
すごくすごく思って、今に至ってる。
ヨルダン・ペトラ
アメリカ・グランドキャニオン、アーチーズ、ホワイトサンズ国立公園
南仏
スペイン北西部
インド
メキシコ
ザンジバルはフレディの生まれ故郷。
彼は過去を振り返らなかったから(時に昔の友人にそっけなかったとも言われてるくらい)生前ザンジバルに対しての郷愁とかを口にすることはなかったのかもしれない。
「自己分析をしようとは思わない」
「こぼしたミルクについてくよくよと悩まないタイプ」
だと「A LIFE, IN HIS OWN WORDS / フレディ・マーキュリー 自らが語るその人生」の中で語っているし。
ショウビズの世界、音楽業界の中で「てっぺんとるぞー」という覚悟を決めたフレディにとって、ザンジバルはあえてそれをつまびらかにする必要性がなかった場所だったのかな、とも思う。
昔語りをするよりも、現在(いま)。
もしくはこれから起きることにワクワクしていたい。
本心がどうだったかはもう誰もしるよしもないけれど
フレディが作る楽曲を聴いていると、そんな彼の志向というかパーソナリティが
音楽にも現れている気がして。
どこか、明るい、のよね。
それもなんていうか、「さあ元気だして前を向こうではないか」とか
「君の進むべき道はこれなのである!」的なご指南系メッセージソングではなくて。
からりと、明るい。
でも。
もしかしたらそのからっとした明るさのルーツのひとつが
ザンジバルの青い海と空だったりするんじゃないかな。
なんて、ファンは勝手に妄想とイメージを膨らませて、聖地巡りに心を躍らせるわけなのです。
ちなみにザンジバルってこんなところ。
行くぞ!ザンジバル!!(・・・・しかし、ちくしょーコロナめ!)
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私はボヘミアン・ラプソディ(映画)を観て、そこからQUEENを知った。
いわゆる「にわかファン」というやつですね。
制作発表から8年、最終コーナーを回ったところで監督が交代するという難産を経て、ロンドンでのワールドプレミアが2018年10月23日(現地時間)にウェンブリースタジアムで開催、日本公開は同年11月。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』ワールドプレミアにブライアン&ロジャー、布袋寅泰ら登場 | BARKS
この頃、私は全く、いや正確にはカップヌードルCMパロディとか、キムタクドラマで第二次ブームだった頃にジュエルズという日本版ベスト盤を買ったりとかして、知ってはいましたよ、はい。知ってはいたし、さらっと聴いてはいたわけです。ですが。
この映画観るまでは。
いわゆるOne of themだったわけですね、ざっくり「ちょっといいかも」と思って聴く洋楽の中の、いっこのグループに過ぎなかった。
でもね。これがですね。やられちゃったんですよね。
ケチなので(笑)WIFIない中でのYoutubeはできるだけ控えるんですが、
ボヘミアン・ラプソディを見終わった後はですねえ、検索して見入りましたよそりゃもうずーっと帰りの車内で。ずーっと。
QUEEN公式では通しの画像がないので、LIVE AIDのYoutubeから。
Live Aid 6pm-8pm Wembley Stadium London ( 1985/7/13 現地時間 )
でもQUEENのこのステージは、絶対絶対ぜーったいに通しで見るべきだと思うんだ。
そのくらい、鳥肌がたったのですよ。
映画みてガツーンときて。
このステージ、観客、フレディ・マーキュリーをみて「なんなんだ、なんなんだ、これ⁉」って。
そして今は、この21分間を2020年2月16日に見事に再現したオーストラリア森林火災チャリティコンサートを含む、QUEEN+Adam Lambert(クイーン+アダム・ランバート)のBlue-rayを観てます。
私はCD+Blue-rayを購入したのですが、Blue-rayにはロジャー・テイラー親子のドラムバトルも入っていたりとか、QUEEN+Adam Lambert(QAL) の過去のステージのベストセレクション集としてはほんとに素晴らしいシーン満載。
Live Around the World (LATW)
アダムによってよみがえった、というか新たな進化をみせたあのLive Aidの21分間。
リアルで観た時は「すっごいもの観た!」とめちゃくちゃ感動しつつ、「アダムってすごい!ブライアン(ブライアン・メイ)もロジャーも最高!!」とキャッキャとはしゃいだ反面、実は少しだけ複雑な部分もあったりして。
「あの」フレディーとジョン(ジョン・ディーコン)がいて。
「あの」最高のステージを4人だけで見せてくれたQUEENを。
そのままにしておきたかったなあというわがままなファン心理とでもいうのかな。
ブログを始めたのも、そんなややこしい自分のQUEEN LOVE🧡をぼちぼち吐露しといた方が健康的かな?とか思ったこともあり。
多分これから何度もでてきてうざったいと思うけど。
私はQUEENもアダムも大好き。
LATWの中でフレディのソロ、Love Killsを歌うアダムにはこれまた鳥肌がたちます。
アダムは神の子かって思っちゃう。あ、歌声、パフォーマンス、エンタテイメントの面で、ってことですよ。
でもね。だからかな、フレディやジョンが恋しくなる時がある。
わがままだったり、時にはこじらせたり。
ファンてめんどくさいけど、でも面白い✨
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凍結してたブログが生きていた!
デジタル資産(遺産)の怖さでもあるが・・・ありがたい!
なぜなら
当時は映画鑑賞記録備忘、シナリオ勉強も兼ねてと思って始めたのだけど
気づけば月日は流れ・・・
趣味嗜好・興味・環境が微妙に(ある意味大きく)変わってしまったこともあり
このブログを再開しようと思ったので、生き返らせて、ちょっとカスタマイズした。
今の関心事は・・・もっぱらクイーン・QUEEN・くいーーん!!!なのだ。
で、イチオシへの思いの丈を吐き出すには、流れに任せてのツイッターとかも
悪かないんだけれど
自分の備忘とか、整理するにはブログかなって。
今時ブログって逆じゃ?的な気もしなくはないものの、気にしない。
だってストレスフリーで書き込めるのは、ありがたいもの。
(公開するんだから、全くのフリーってわけじゃないだろうけど)
本来オリンピックイヤーで日本中沸いたわーって、
わっしょいの一年だったはずの今年。
いうまでもないがコロナめ😤のおかげで、リモート在宅勤務だのSTAY HOMEだの
新宿の東口から西口までが見通せるくらい人がいない、店も乗り物もがらがらな
都心の実質的なROCK-DOWNの風景を我々は初めて経験したわけだけど。
そんな今年の初めにQUEENはアダム・ランバートという神がかり的な歌声の持ち主と
ともに日本でツアーを行ったのだ。
なんだかとても昔のよう。
だけど、だからこそ。
綴っておくとか残しておくとか大事、だよなとか。
いろいろ教えてもらったり、気づいたり、収集したりしてること、
せっかくならば忘れないようにしておこう。
これだけ好きなものってなかなか巡り会えないし。
所有欲っていうのは一定レベルでリミッターが発動されると思っていて。
その先行き着くところは、アウトプットしたいんだよね、インプットしたものを。
そうじゃないと、なんとなく愛が形にならないような気がしてしまうのはワタシだけ、
だろーか(笑)
あ、映画も旅モノも、日常のちゃめしごとも、きっと絶対適当だけどつぶやきます。
つれづれと💚
今日はここまで😄
Going in Style
邦題は「ジーサンズ はじめての強盗」
あらすじ
ウィリー(モーガン・フリーマン)、ジョー(マイケル・ケイン)、アルバート(アラン・アーキン)は、平穏な余生を過ごしていた。ところが長年勤めた会社の合併により年金をカットされてしまい、平均年齢80歳以上の彼らの生活はお先真っ暗の状態に。追い詰められた彼らは、思いがけない行動に出る。 (シネマトゥデイより引用)
1979年の同名映画(Caper Movie)のリメイク。
どこまでも善良なおじいちゃんたち3人の友情物語。
に、アメリカではちっとも珍しくもなんともないであろうM&Aによる労働者の権利はく奪=年金がさくっとナキモノにされてしまう社会事情が背景。
トランプ政権のラストベルトをなんとなく彷彿とさせるような。
でもそんな政治だの経済だのの色を感じさせない、軽妙なオスカー俳優の演技と脚本、セリフが秀逸。
途中の設定では思わず
「いやーそんなに世の中上手くはいかないだろ、モーガンフリーマン(笑)」ってつっこみたくなる場面はあれど。
この映画の裏テーマは、平凡だけれど善良なイチ市民が感じるシアワセってナンデショウっていうことなので。
ま、それは少なくともお金じゃないんだよね、っていう。
おじいちゃんたちに強盗なんてものを企たせておきながら、なんですが。
でも、それがいい。
あと、邦題について。
巷では非難ゴーゴーっぽいですが(笑)嫌いじゃない。
原題の Going in Style は 60年代の「明日に向かって撃て」の正統派強盗モノ(←そんなジャンルあったかな)があっての、まさに「Caper」なパロディの香りがする。(おれたち流にカッコよく行こうぜ、ずっこけだけど。的な)
でも、このリメイク版にはそういうパロディ臭よりは、もうちょっと軽めのヒューマニズムが底辺にある感じがするので、どっちかっていうと「ジーサンズ」の方が合ってる気がする。っていうのはひねくれすぎか(笑)
あと、ラストシーンのモーガンフリーマンの立ち姿がいいんだよなー。
「モーガンジーサン、やっぱカメラに対する、自分の魅せ方、知ってるねえ」みたいな。あのショット撮らせるために、この映画のオファー受けたんじゃないか?と勘繰りたくなるような(笑)
うん。やっぱり「ジーサンズ」に一票だ。
気楽に、クスッと笑って、長く生きるのも大変だけど悪くない(笑)って思いたいとき(?)に、オススメです。
グランド・ブダペスト:ホテル
女性が好きそうな、ピンクの可愛いホテルでのお話、お話…
と、思っていると。ちょっと違うかな。
ユダヤ人・ツヴァイクの小説にインスパイアされたとあって、第二次世界大戦のヒトラーによる暗黒時代を彷彿とさせる設定を軸に、ホテルのロビーボーイの視点で、自分を引き立ててくれた伝説の(?)コンシェルジュのおかしくも哀しい生きざまを、アンダーソン監督が上手く、かるーく、シニカルに料理して見せている。
結構、えげつなく死んでく人たちもいますので(笑)その辺が苦手な方はそれなりに心してご覧ください。
あらすじ
1932年、品格が漂うグランド・ブダペスト・ホテルを仕切る名コンシェルジュのグスタヴ・H(レイフ・ファインズ)は、究極のおもてなしを信条に大勢の顧客たちをもてなしていた。しかし、常連客のマダムD(ティルダ・スウィントン)が殺されたことでばく大な遺産争いに巻き込まれてしまう。グスタヴは信頼するベルボーイのゼロ(トニー・レヴォロリ)と一緒にホテルの威信を維持すべく、ヨーロッパ中を駆け巡り……。 (Yahoo映画より抜粋)
ホテルにとっては大事な顧客の、お金持ちおばあちゃんたちを手玉に取る、文字通りのヤリ手コンシェルジュをレイフ・ファインズが演じて、はまり役。007のMにとってかわるキャラより、彼には色男がやっぱり似あう。
ツヴァイクは「ベルばら」の原案となった「マリーアントワネット」の
伝記作家、という程度の知識しかないけれど、この映画を観て「心の焦燥」を読んでみたいなと思った。悲恋モノ、のようだけれど。
ドミトリーを演じるエイドリアン・ブロディが激昂してたたき割る絵画はエゴンシーレ。「あーあ、それ割っちゃうって…」と思ったのはワタシだけではないと思います。ドミトリーは、絵の価値もわからないバカ息子の象徴。
そんなちょっとした処に監督のこだわりというか、遊びゴコロがちりばめられた映画です。
一見おしゃれっぽいけど、毒があちこちにあって、ハッピーエンドかというと、そうでもない。クスっと笑えるけど、時々グロイ(笑)
だけどそのバランスが絶妙に収まっている、個人的には好きな映画です。
ダラス・バイヤーズクラブ
不治の病モノで、泣く。
そんな安易な方程式にあてはめてなるものか、という製作者側の意図が垣間見れる、最後まできっちりブレずに撮った作品です。
あらすじ: 1985年、電気工でロデオカウボーイのロン・ウッドルーフ(マシュー・マコノヒー)は、HIV陽性と診断され余命が30日だと言い渡される。アメリカには認可治療薬が少ないことを知った彼は代替薬を探すためメキシコへ向かい、本国への密輸を試みる。偶然出会った性同一性障害でエイズを患うレイヨン(ジャレッド・レトー)と一緒に、国内未承認の薬を販売する「ダラス・バイヤーズクラブ」を設立するが……。
(Yahoo映画より引用)
ワタシ自身、ヒロイックな人間とその感動的な結末を描くお話自体は決して嫌いじゃないし、むしろそれを期待して映画館に足を運ぶタイプ。
ココロがササクレダッテいる時(ま、簡単にいえば仕事やなんかでストレスが溜まりまくっている状況)は、あえて「泣きに行く」為に映画を選んでいることだってあるし。
今回、いい意味で、そんな「やさぐれた」気分をこの映画が「ざらりと」フラットに均してくれました。
人間なんて、結局「自分の為」に生きている。
だけど、それが気がつけばなんらかの形で「他人の為」になっていて、そして最後には「自分が生きた証」になっている…。
自分に正直に生きるなんて大人になったらほぼ九分九厘無理。
しがらみに縛られ、建前を使い分け、いろんなことに気を配り、それでももつれたり、小さなもめごとや葛藤を抱えつつ、それを上手く見ないふりしていなきゃ、
日々の生活なんてできやしない。
だけど、もし。たった1厘の「自分へのわがまま」に対して共感してくれる人がいたとしたら。それが、結果的に共感してくれた人たちとのハッピーをわかちあえることになったら。自分の中の「見ないふり」をやめて、声に出したっていいんじゃないか。
そう。小さなさざ波が、BIG WAVEに変わる時。
ヒーロー、ですよね。それって。
「承認願望」とは自分の存在・あり方を認められたいという欲求であり、人間なら大なり小なり形は違えども、誰しもが持っている欲望だと思うけれど、この映画の主人公ロンがそれを具現化していく過程をこの映画はあくまでも淡々と描き切っています。ロン自身が、高尚な理想だの、人類愛(この映画のテーマだとさながら拝金主義の製薬会社&コンサバな医療業界 VS HIV患者との戦い、でしょうね)を声高に語らない処が、いい。
現に、ロン自身自分がHIV患者でありながら、同じ患者であるレイヨンを「おれはゲイじゃねえ」といって差別する。汚いあの手この手を使い、自分に効く薬を手に入れようとするその露骨なまでの生に対する貪欲さたるや、主人公に「かわいそう」的なお涙ちょうだい感情移入を許さない男として描かれる。で、しかも症状が安定したと思ったら、結局は薬の横流しでお金儲け、だし。薬を買いに来た女性患者とはしっかりイタシテしまうし(笑)
だけど、そんな人間臭いロンが、レイヨンをひそかに受け入れ(本人の最後のプライドは「俺はヘテロとしての感染だ」という処なので、表だって認めてはいないのがなかなかチャーミングな描き方)、非合法でも本当に効く薬を患者たちに提供し、ひいては製薬会社・国の許認可をも覆す結果となる。
でもロンが望んでいた「承認願望」は、そんな大それたことではなかったんだと、ラストシーンで気づかされる。そこもまた、いい。
男って、プライドの塊で生きてる生物なんだって、わかります(笑)
だから逆に、レイヨンの生き方がせつない。
偏見、献身、犠牲。
そんなものを全て、濃い化粧の下にまとったまま、死んでいく。
当時のHIV患者の負の側面を、レイヨンという人物一人が全部背負っているような描き方も秀逸です。
ココロがざらついたときには、逆にそれをキリリと逆なでしてくれるような「ひっかかるお話」を観た方がいい時も、ある。
そんなことを発見できた映画です。